高校を卒業する直前まで、僕には「本当にやりたい仕事」なんて1つもありませんでした。
周りがどんどん就職先を決めていく中、焦りながらテレビをつけて目に入ったのが、当時大ヒットしていた木村拓哉さん主演の美容師のドラマ。
「あ、なんかカッコいいな」
そんな、今思えば浅すぎる理由と、ギリギリの就職活動で滑り込んだのが、僕のキャリアのスタートである美容師の仕事でした。
しかし、現実はドラマのように華やかではありません。
朝から晩までの過酷な労働、手荒れ、そして何より「この仕事を10年、20年と続けている自分の未来」が、どうしても想像できなかったんです。
結局、僕はわずか半年で美容師を辞めました。
ここから、僕の「18歳から26歳まで、フリーター・無職・1日退職を繰り返す、20社をめぐる泥泥のサバイバル」が始まるとは、当時の僕は夢にも思っていませんでした――。
華やかな世界から一転、工場の暗闇へ。プレス、塗装、検品を繰り返す日々
美容師を半年で辞めて、次に僕が向かったのは工場の製造現場でした。
髪型を気にする華やかな世界から一転して、作業着に身を包む毎日。
そこで僕は、鉄板をガシャンガシャンと打ち抜く「プレス」、独特の臭いが立ち込める「塗装」、あるいは製品にキズがないかを目で追う「検品」など、あらゆるライン作業を経験しました。
「これなら人と喋らなくていいし、自分にもできるかもしれない」
最初はそう思っていました。
でも、工場での仕事も長くは続きませんでした。
毎日同じことの繰り返しで、時計の針が驚くほど進まない空間。1日で「あ、もう無理だ」と心が折れて辞めてしまったこともあれば、なんとか1年近く続けた場所もありました。
気づけば僕は、18歳から26歳までの8年間、フリーターと無職のループから抜け出せなくなっていました。
周りの友だちがスーツを着て「会社員」としてキャリアを積んでいく中、自分だけが「1日退職」や「短期離職」を繰り返し、職歴だけがボロボロになっていく。
夜、布団に入ると「俺、このまま一生フリーターで人生終わるのかな……」という強烈な焦りと不安で、胸が押しつぶされそうになっていました。
「もう一度だけがんばってみよう」と戻った美容師。しかし、人間関係の壁に絶望する
工場のライン作業を転々とする中で、僕の心の中にはずっとモヤモヤしたものがありました。
「やっぱり、あの時すぐに諦めてしまった美容師に、もう一度だけ挑戦してみたい」
一度は未来が見えないと逃げ出した世界でしたが、どこか未練があったのかもしれません。僕は覚悟を決めて、再び美容師として働き始めました。「今度こそ、長く続けるんだ」と自分に言い聞かせて。
しかし、現実は非情でした。
新しく入った職場で待っていたのは、ドロドロとした「人間関係のストレス」でした。
先輩からの理不尽な態度、ギスギスした店舗の空気、誰を信じていいか分からない孤独感。毎日、お店の扉を開けるだけで胃がキリキリと痛み、冷や汗が出るような日々。
技術や仕事のキツさなら耐えられたかもしれません。でも、人間関係の悩みは、自分の努力だけではどうにもなりませんでした。心が限界を迎えた僕は、結局、またしても退職という選択をとることになりました。
「一度諦めて、もう一回挑戦したのに、またダメだった」
この時の絶望感は、これまでの比ではありませんでした。
自分の根性のなさを責面、周りの目線が怖くなり、僕は完全に自信を失ってしまいました。
タウンページをめくって直電話。泥臭く生き延びたフリーター時代と、拭えない焦り
2度目の美容師も人間関係で挫折し、僕の職歴はさらにボロボロになりました。一般的なネットの求人サイトを見ても、自分の経歴では書類で落とされるのが目に見えている。
追い詰められた僕が取った行動は、今思えば凄まじいものでした。
ネットではなく、「タウンページ(電話帳)」を開き、地元の工場へ片っ端から直接電話をかけたのです。
「そちらでアルバイトの募集はしていませんか?」
その泥臭い執念が実を結び、ある工場に採用され、そこで2年ほど懸命に働きました。真面目に働いていたお陰で、会社から「正社員にならないか?」と声をかけてもらえるまでになったのです。
普通なら、職歴ボロボロのフリーターにとって、これ以上ない救いの手だったかもしれません。でも、僕の心の中の何かが拒絶しました。
「ここで正社員になったら、俺の人生、一生この工場で終わってしまうんじゃないか……?」
自分の未来を諦めたくなかった僕は、その安定を蹴って工場を辞めました。
その後も僕のサバイバルは続きます。
駅に置いてある求人雑誌をめくっては、気になる温泉施設に直接電話してバイトをし、辞め、今度は一発奮起して東京へ進出。そこでも求人雑誌からパチンコ店に直電話して働きましたが、1年経たずに退職。
結局、理想の生き方が見つからないまま地元に戻り、再びアルバイトや正社員の転職を繰り返する、終わりの見えないループへと戻ってしまったのです――。
20代後半からの大逆転。電気との出会い、ヘッドハンティング、そして過労からの再出発
地元に戻ってフリーターを繰り返していた僕ですが、20代半ばを過ぎた頃、大きな転機が訪れました。彼女との結婚です。
「このままじゃいけない。家族のためにも、ちゃんと正社員として生きていこう」
そう決意し、ハローワークで紹介された工場で溶接工の正社員として働き始めました。しかし、またしても人間関係に悩み退職。次に直電話で潜り込んだ工場でも、旋盤加工の正社員として働きましたが、同じように人間関係で挫折してしまいました。
「自分には、工場での作業(オペレーターなど)は向いていないんだ……」
身を削るような失敗を重ねて、僕は初めてまともな自己分析をしました。そしてハローワークの紹介を頼りに、思い切って未知の領域である「建設業(電気工事)」へ飛び込んだのです。これが、僕の人生の運命を変える最大のターニングポイントになりました。
電気工事の現場を2社経験する中で、僕は電気の奥深さにのめり込みました。その後、ハローワークの求人票で見つけた「電気制御」の仕事に直電話して採用されます。
ここで、これまでの泥泥のサバイバルが嘘のような奇跡が起きます。
現場で必死に磨いてきた僕の電気の経験が評価され、なんと別の機械メーカーから「うちに来てくれないか」とヘッドハンティング(引き抜き)をされたのです。
1日でバイトを辞め、タウンページをめくって直電していたあのフリーターが、企業から「どうしても欲しい」と求められる人材になれた。あの時の震えるような嬉さは、今でも忘れられません。その機械メーカーで5年間、電気制御のプロとして実績を積み上げました。
その後、さらにステップアップを目指すため、人生で初めてネットの大手転職サイト「リクルートエージェント」に登録。電気制御の経験を武器に、日本最大級の求人数を誇るリクルートエージェントを通して「電気制御3社目」となる会社へ、好条件で堂々の転職を果たしました。
激務の限界、そして掴んだ「自分らしい働き方」
しかし、転職した先で待っていたのは、電気制御の「過度な仕事量(激務)」という新たな壁でした。
毎日深夜まで続く業務、休めないプレッシャー。
「このままでは、また昔のように自分が壊れてしまう」
そう察知した僕は、今度は迷わずに退職を選びました。昔の僕なら「また辞めてしまった」と絶望していたかもしれません。でも、今の僕には現場で培った知識と、必死に勉強して勝ち取った「第一種電気工事士」という強力な国家資格がありました。
結果は、驚くほどあっさりと決まりました。
職歴ボロボロだった過去が嘘のように、資格とこれまでの経験が評価され、すんなりと電気工事の仕事へ戻ることができたのです。
現在の僕は、過度な残業もなく、プライベートの時間を思いっきり充実させられる理想的な環境で働いています。
20社を経験し、一度は激務に潰されかけましたが、「確かなスキル(資格)」と「doda(デューダ)のような正しいツールの使い方」さえ知っていれば、いつでも、何度でも、自分に合った働き方で人生はやり直せる。身をもってそれを証明することができました。
おわりに:職歴がどれだけボロボロでも、人生はいくらでもやり直せる
18歳から始まった僕の転職回数は、気づけば20社。
1日で辞めた日もあれば、無職で泣いた夜もありました。ハローワークに通い詰め、求人誌を貪り、タウンページから直電した数は数えきれません。
だからこそ、僕は断言できます。
「職歴がどれだけボロボロでも、選び方と戦略次第で、人生はいくらでも逆転できる」
このブログでは、20社を渡り歩いた僕だからこそ語れる「綺麗事一切なしの退職・転職ノウハウ」と、僕の人生のピンチを救ってくれた「電気業界のリアル×転職サイトの活用術」のすべてをリアルに伝えていきます。
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【A8リクルートエージェントのタグを後で貼る】
職歴がボロボロでも、使う場所(手札)を変えれば、40代からでも人生は絶対に逆転できます。

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